第17回秋季展WEB2020

猪狩 達夫

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三渓園・旧矢篦原家住宅

彩墨 F10

横浜三渓園の南端部に位置するこの大型民家は、岐阜県荘川村に300年前に建てられた屋根面積222坪の入母屋造りである。昭和35年当時の御母衣ダム建設の底を逃れ、三渓園に移設された。当絵は昨年(令和元年)彩寿会10月開催だったので、私は単独で事前チェックの際のコンテスケッチをもとに、彩墨画10号を仕上げた。西和夫著「三渓園の建物と原三渓」によれば、三渓園創始者、原富太郎は自宅に当時の若い画家を集め、日本画家安田靫彦、小林古径、今村紫江、夜を徹して芸術論を戦わしたと言う。原自身も、画家として日本画を残している。この旧矢篦原家は、原富太郎の没後、遺志を継いで移設実施したものと思われる。

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紫川・春吉眼鏡橋

彩墨 F10

今週10月、新型コロナ蔓延の中、急遽、意を決して、空路で北九州市小倉に20年ぶりに訪れ、「紫川マイタウン・マイリバー事業」紫川下流域の最近の姿と上流の「眼鏡橋」を水(彩)墨で描こう、と久しぶりに10号パネルを抱えて搭乗した。紫川は、思えば、30余年前、恩師菊竹先生から推薦委員として指名受け、2年にわたり、殆ど地元民の様に川に親しんだのだった。その折20Kmある源流の方にも出掛けた。この名橋「眼鏡橋」(市の史跡)は紫川最上流春吉集落にあり、その折にも何度かパステルスケッチしている。その数年後、再び市からの発注で植物学者広永勇三氏と共に紫川中。上流域の徹底調査(市民レベル対応)を2年がかりで、早大尾島研とのタイアップで受けることとし、これで、紫川との「縁」が更に深くなり春吉眼鏡橋にも通うことになる。但し、彩墨画で描くのは、今回はじめてである。